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モデリングやほーい
大学課題も兼ねて久々に人物をモデってみる
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いや、てかメディア実践の授業でモデり始めたら止まらなくなった
ここまでおおよそ3時間
ちゃりげーの翼タンのつもりなんだが、原画と見比べるとウボア('A')

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ちなみにポリゴン数を考えずに作ってるからゲームには使えない代物
これを下敷きにポリ減らして使うかもしれないが・・
テクスチャ作るのがたるかったため、眉毛とか全部六角で置いてる。
目安だから別に良いんデス!と自己正当化を図ってみるテスト

しっかし、漏れ今週末からテストなんだよね・・何やってんだかorz
# by askcl | 2006-01-16 20:51 | CG
最近オタクってどうよ?
昔からの友人はみんな知ってると思うけど、僕は中学生のころから自分はオタクであると公言し続けてきたし、今でも自分はオタクだと思っている。
でも、最近は「オタク」という社会的な規定に自分は属さないと思い始めた。
現在の社会が規定するオタク像に嫌気が差してきたのだ。
これは僕が変化した(脱ヲタの方向に向かっている)のではなく、社会の方が変化してきたのは間違いないだろう。テレビを点ければ民放もNHKもこぞって「萌え~」だ。電車男が大ヒットし、アキバのメイド喫茶に俗に言う一般人がやってくる。
もはや、昔のようにオタクは一方的、絶対的な蔑みの中に居ない。過去マイノリティーであったオタクはもはやマジョリティーである。巷にはオタクを公言する人々がはびこり、メディアも経済もオタク万歳を繰り返している。
これは中学時代の僕が望んだ世界だったと思う。蔑みの対象にあった少年時代の僕は、自分たちオタクが大手を振って歩ける社会を望んでいた。
だが、実際にオタクが認められる社会は僕にとって決して居心地の良い物ではなかったのだ。

僕のオタク観
僕は中学校からコンピュータオタクの道を歩んだ。
暇さえあればコンピュータに向かい、オーサリングツールでゲームを組んだり、数時間も手を休めずにモデリングに没頭し、まだ当時は珍しかったラジオシティーレンダリングを走らせてはニヤニヤする。そんな中学生だった。
そんな僕の所属するコンピュータ部は、不良から迫害され、他の生徒からも蔑まれる。
学校内の生徒間での地位は最下層に位置すると当時の僕は思っていたし、おそらく他の部員たちにもそう思っている人が多かったはずだ。
だから当時の僕はそんな環境で相当にひねくれていたし、痛々しく尖っていた。
今でもひねくれているが、当時の比ではない。自分でも信じられないくらいだ。
僕はいくつかの「なぜ?」を抱いていた。
なぜ文化系の活動は運動をしている連中ほど評価されないのだろうか?
なぜ、オタクや変人は蔑まれなければならないのだろうか?
どうすればオタクはみんなから、社会から認められるんだろうか?
僕は自分とオタクを同一視していたと言っても過言ではない。
昔から変人・変態であった自分、社会に認められない自分、社会に認められるには今まで蓄積してきた自分を抹消しなくてはいけないと暗に教える大人たち。
社会の中でも自分でいて構わない。「オタク」というレッテルはその免罪符だったのだ。
自分をオタクだとか変人というレッテルで社会的に定義することによって、僕は初めてアイデンティティーを確立したのだ。

オタクレッテルの変化
僕のアイデンティティーにオタクという要素は欠かせない。
だが、現在社会のオタク像は僕の一部を構成しているオタクとは全く違う物になってしまった。
まず、一般的なオタク像が萌え系オタなのである。
数年前までオタクはコンピュータやら電子工作やらアマチュア無線やらのイメージが強かった筈なのに、どうして今は萌えオタ一辺倒なのだろう?
僕は「萌え」は理解できているつもりだし、萌えを否定する気もない。
しかし、オタクの「一般的ではない趣味に没頭する不可解な人々」という定義が「仮想のキャラクターにお熱を上げる人」へと変化してしまうのはどうなんだろう・・・
僕は今まで僕の存在を許していたオタクという定義から疎外された気持ちがした。
周囲の自称「オタク」な人間と話をしていても最近は凄く疎外感を覚える。
僕の中ではオタクという存在の定義は精神的なアイデンティティーに関係するのだと思っていたが、今は少しオタク趣味があるだけでみんなオタク顔している。
オタクが一般から蔑まれ、疎外される時代は終わったのだ。むしろ一般人のオタク化が進行している。オタクの大衆化。
「オタクになりました」とか「脱オタした」とか、そんな簡単になったり抜けたり出来る物なのか?オタクって?という違和感を覚えてしまう。
オタクという言葉の内包する意味が単純化したのだ。今までも単なるレッテルだったかもしれないが、以前より含みが消えたように感じる。
メイドとかネコミミとかと同列の記号になった。一般化して消費されるということなんだろう。
今はオタクであることに悩むオタクなんて居ないだろう。そんなものは何の役にも立たない昔話だ。
僕はオタクレッテルの単純化、大衆化に問題は感じていない。
だからこのままその風潮が続くのなら、僕個人は少し寂しいけれど半ば自然的に脱オタをしたんだと考えるつもりだ。

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一晩寝かせて読んだら、あまりにもごーまんかましすぎてたので修正
人に見せる物はしばらく置いてみないと怖いなと思った19の冬
# by askcl | 2006-01-15 02:23
第参回 目が、目がぁぁあああああ
なんか3日前くらいから左目が痛いなぁとは思っていたんですよ。
で、昨日。うららかな冬の午前に「さぁー学校行くかぁー」と風呂に入ろうとして鏡を覗き込んだら、なんか左目の下まぶたが腫れて膨れてる。お岩さんまでは行かないにしろなんか腫れてる。んで、おそるおそる瞼をめくってみたら真っ赤に炎症起こしてる。しかも謎のできものまで。こりゃ痛いはずだわと思いつつ見なかったことにしようかと考えたが、失明とか嫌なので素直に保険証持って眼科に行くことにしました。はい。
しかし、眼科など行くのは数年ぶりで、場所を良く憶えてなかったために日吉駅前をぐるぐる歩き回る羽目に。改めて見てみると日吉は医者大杉だな。大体、前回眼科に行ったのって確か自分がメガネを作ったときだった気がする・・・。結局googleローカル(β)先生の力を借りて眼科にたどり着く。D505iで地図まで表示されるとかさすがgoogleだね!
小学生の時以来、ご無沙汰していた眼科は全く変わってませんでした。ちなみにここで視力の問題を訴えるともれなく眼科と提携してる指定の眼鏡屋で高いメガネ買わされます。で、順番が来たんで医者に下瞼が腫れている旨を伝えたが、見事にスルーされて視力検査機に座って視力検査、眼圧測定。もしや、これは新しいメガネを買わせるための罠なのでは!?との疑念が頭をもたげてきました。まぁ、眼圧には不安があったんで計って貰う分にはありがたかったんですけど。ひらがなとかCマーク(正式名称何だっけ?)を読まされたあと、ようやく炎症を治してくれそうな先生の元に通されて診察を受ける。結局、まぶたの裏側に出来た霰粒腫が炎症を引き起こしているとのこと。前々から目の回りに霰粒腫が出来ていて、まぁ、無害だからほっといてたんだが、まぶたの裏にも出来る物だったのかー!こやつめ!
結局、一週間、目薬と飲み薬で炎症を抑える治療を試し、駄目だったら摘出手術だそうです。目薬2種類とか('A`)マンドクセ
# by askcl | 2006-01-11 11:13 | 日記
【第2回】日記とジャンプ漫画の話。

皆さんこんばんは。終わりの見えないこのブログ、なんと第2回目を掲載致します!ジャブです。
まぁ、もう気付いたと思うんだけど早くもレイアウト変えました。
実は前回既に小さい解像度で見ると非常に見づらい事を認知してたんですが、直しませんでした。めんどくて。面倒くさいの嫌だなーと思ってシンプルそうなエキサイトブログを選んだんだけど、レイアウト変更しようとすると結構イライラさせられます。デフォのCSSが凄く読みづらかったのは俺だけですか?そうですか。
とりあえず、一応日記メインとか考えてたんでせっかくだから書きます。


1月4日水曜日はれ
朝10時に某先輩からの電話で目が覚める。そう。今日は中学校時代からの恩師でありお友達でもあるような気がするM師匠の元でお手伝いという名目のアルバイトをする日だったジャマイカ。ちなみに集合時間は10時です。本当にありがとうございました。とりあえずお手伝い先の横浜市内の某中学校へ。途中頼まれた買い物などをして昼前に現場へ到着、床にモップを掛ける。昼食後、先輩と俺は裏山へ蔓狩りに。周囲を雑木林の崖と墓地に囲まれたこの中学校にツル植物の魔の手が迫っているのでそれを事前に食い止めろとの指令が下る。落ちてきたサクラの枯れた枝が木の枝に引っかかってツル植物が団子のように絡み付いているという惨状を目撃した我々は、まずこの枯れ枝を取り除くことにした。縄を付けて引っ張るがびくともしない事に痺れを切らした先輩が新兵器を持ってくると言って姿を消す。数分後先輩がバイク持ってキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!バイクの後ろに縄を結びつけて引っ張るという何とも幼稚単純明快な作戦。早速引っ張る、と、枯れ枝が動いたよママン!!難なく成功かと思われたが、すぐに空転を始めるバイク。それもそのはず、枯れ枝を引っ張っている蔓は大体4本。どれも綱引きの縄みたいに太いんです。結局バイクのナンバープレートが綱引きに負けてひん曲がりました。(´Д`;)
これは雑木林の中に入ってツタを切断するしか!だが厳重にフェンスで取り囲まれて入る場所がない。なんでも一度どこかのガキが急斜面を転がり落ちたらしく、確かに自然は危険だが、ちと過保護すぎないか?と小生気に病んで仕方ありません。結局、フェンスを乗り越えて管理の行き届いていないジャングルへ。即座に蔓が体に巻き付いて身動きが取れなくなる。邪魔だてする気か!小癪なっ!とのこぎりを振り回して蔓を切断しながら奥地へと向かう。生えていたツタ植物はおそらく葛とみられ、その太さは両手で輪っかを作ったくらいの立派なもの。ぶら下がっても大丈夫!100人乗ったらたぶん駄目。一体、このモンスターにどうやって立ち向かうというのか!?どうする?どうするよ俺!?しかし、こちとら素手ではありません。極太な奴らも所詮は植物。ノコギリと新型兵器の高枝切りバサミの前にいとも簡単に敗北したのであった。すると、蔦の切り口から大量の水がボタボタ垂れてきた。凄い!!植物の偉大さを感じつつ更に切り刻む。もはやスプラッター!「お前らの血は何色だっ?」(葛談)=>「ヘモグロビンの赤です。」(俺)余りにも立派なツルだったので持ち帰って玄関に飾りたかったデス。モンスター狩りまくったから経験値上がったかも。カメラを持っていなかったことが悔やまれる。
バイト終了後、横浜の有隣堂へ。学参と専門書を漁る。
むずかしい微分積分は微分とは?積分とは?という根本をしっかり説明していて良い。今までおまじないとしか認識できてなかった記号の意味をしっかり説明してくれるのでスッキリできる。文系の人や数学苦手な人は一読の価値ありかも。俺はもっと問題をこなさないとなぁ・・・
Digital Anime Artworkは内容の良し悪しより何より刺激になった。プロのワークフローや仕事に対する姿勢を知ることは、自分の未熟さを知ると共に明確な目標となり創作意欲を高めるので大変良い。今回一番目を引きつけられたのはテクノライズの3D素材制作とイノセンスのエフェクト。特にテクノライズの記事は制作中の自転車レースゲーム「ちゃりげー」にて、街を一個丸ごとモデリングしなくてはならない身には凄く励みになった。



そう言えば先日、俺がプロット・絵コンテ割りをしている「ちゃりげー」ストーリーモードのノリがテンション低くて嫌。最悪。やめてしまえ!と知り合いに言われて凹む。知り合い曰く、ちゃりげーはジャンプ漫画のノリが似合うとか。まさにジャンプ漫画を倦厭していた俺に大ダメージ。様々なマイナー漫画に手を出してる俺がなんでジャンプ漫画をあまり読まなかったのかと言えば、文化が違うから。としか言いようがない。週刊少年ジャンプは毎週買って読むことを前提に作られている雑誌だ。漫画はどれも1話4分程(山手線の一駅間の平均所要時間らしい)で読み終えることの出来る長さに調整され、アンケートの人気投票によって人気のない連載はバッサリと打ち切られる。逆に人気の高い連載はネタが切れても続けられる。それ故に1話1話の盛り上がりと次週への期待感が最も重要視され、連載終了時までの起承転結はおざなりにされる。アクション物は敵の強さが上がり過ぎて結局インフレを起こす。全てがそうとは言わないが、そういう傾向があるのは間違いない。俺は毎週ジャンプを買って読むという習慣が無く、気になる連載があると単行本を買って一気に読む。それ故におざなりにされた起承転結が鼻につく。少しずつ読むか、一気に読むかという文化の違いが俺からジャンプ漫画を遠ざけてしまった。とはいえ、あれか。ジャンプ分が足りないってのはつまる所「勝利・友情・努力」が足りないと、そう言いたいわけだな!?
もう一つ、「ノリが違う」理由にはキャラクターに人間性を付加した事が原因だろう。元々の原案に俺が手を加えたとき、一番大きく変化したのがキャラクターの人間性。主人公とその周りがリアリティーを持つように、様々なバックストーリーを用意したのだ。それがギャグを連発する上では足枷となってしまっている。つまり、人としてのリアリティーが薄いキャラならばビルから落として地面に穴を空けさせようが、重しを付けて海に沈めてしまおうが、生き返ってきても世界観として破綻しない。だが、人としての痛みの概念を導入したちゃりげーのキャラクターは、そのような(リアルで考えたら恐ろしくて出来ないような)ギャグを展開させることが不可能になってしまったわけである。だったらその生半可なリアリティーを取り去ってギャグで埋めてしまえばいいと皆は思うかもしれない。だがそうであれば、僕がプロットを書くべきではない。僕の構築する物語は、人の心の変化をじっくり書き込んでゆく手法を取っていて、ギャグを連射して人を笑わせるのには向いていないのだ。また、そういう話は思いつきすらしない。だから、ギャグ方向一本道で行きたいのであれば、すぐさま僕を脚本担当から降ろすべきだ。
もう一つ、ゲームの方向性として「ちゃりげー」には人間性の希薄な薄っぺらいシナリオは似合わないと自分は思う。自転車は数ある乗り物の中でも最も人間が露出する乗り物である。人が乗って初めて自転車として完成するのだ。無視するわけにはいかない。そもそも、ちゃりげーはコースの決まっていない3Dレースゲーム。テーマは「Free」である。薄っぺらいステレオタイプで構成された街や人など、いくら自由に走れた所でそこに私が求める自由はない。3次元で構築された街の持つ様々な側面、人の持つ様々な側面が走ってゆくと見えてくる。たくさんの人が住む街を味わうことの出来るレースゲーム。それこそ自由の醍醐味、「ちゃりげー」の企画の斬新な側面ではないだろうか?
とか、偉そうに言いつつ、確かにギャグ展開とか熱く見せるさじ加減とかはジャンプ漫画は上手いと思うのでちょっと研究したいと思います。近所のGEOに行って読んでこよう・・。


# by askcl | 2006-01-05 03:39 | 日記
【第一回】年明け早々すみませんが、こんにちは。
はい。お兄ちゃんもお嬢ちゃんもおじ様もおば様もお爺様もお婆様も・・
まぁ、つまり老若男女のみなさんこんにちは。
そして明けましておめでとうございます。
前からやるやる言っておきながら全く始めようとしなかったblogを
今日から公開させて頂きます。ついでにmixiの日記にも登録して労力を省きます。

このblogは一体全体何なのか?と思ったら

・alan(下島安嵐)が適当に更新するスペース
・日記と雑記メインである
・冗談と本気が混在
・alanの思想や考えが垣間見れる
・alanの興味ある物なら何でも扱う(コンピュータ、旅行・・・等)
・alanの周辺のオカシナ人達が現れるかもね
・更新頻度は低いのがデフォルト
・あんまり更新が怠ってたら生存確認してみるのも良いかもね

って所を掴んでおけばOKaaaaaaaay!!(大統領風に)
ま。真面目に書いてないんで気軽に読んでくださいね。マジで。
じゃ、次回からよろしく。
# by askcl | 2006-01-02 16:36



死ぬまで中2病なオタ学生alanが、現実と妄想の区別が付かなくなり、日々迷走する様をとりあえず記録しておくブログ。
by askcl